嫌悪

2021♪

嫌悪するとき


自分の中にこれほど
人を嫌悪するという
感情があったのか・・・

生きるということは
いろんな自分と
向き合う
ということ・・・・。
 
自分が人を嫌悪することを
しっかりと
自覚することによって
初めて人は
人を許すことが
できるのでしょう。

自分が完全だと思うから
人を許せなくなってしまうのでしょう。
  

   嫌悪する時
   
        私は、最近になって、自分がとても大切に育てられて

      いたんだということを感じます。
        
       それだけ、人の愛情を受けて育っていたので、
       知らず知らずのうちに
       
       大事にされて当たり前。
       自分の思いが叶えられて当然。
       
       自分に必要以上の自信とプライドを
       身につけてしまっていることに
       今更ながら
       気付かされるのです。
       
       そして知らずに自分と他人との間に
       隔たりを作っていた。
  
       自分の思い通りにならない人に対しての
       嫌悪感。

       嫌悪感が心に占める時、身動きが取れなく
       なり、自分が築いてきた全てが崩れていくのを
       感じます。そんな時祈るのがこちらです。


      

      嫌悪するとき

      思いやりがないとか強引だとか
       無作法だとか、気取っているということで
       ひとを嫌いになることがあります。

       また、声が甲高いとか、眼つき、容姿によって
       相手を嫌いになることもあります。

       そればかりか、たいした理由もなくただ何となく嫌い、
       何故かわからないけど
       好きになれないこともあります。

       人に対して、物に対して避けたくなったり
       退けたくなったり排除したくなったりする嫌悪の情。

       「嫌い!」という想い,嫌悪の情が生じたとき、
       大切なのは衝動的に最終的な
       判断を下さないことです。

       好き嫌いはものの「見かけ」のようなものだからです。
       中身を味わわずに 食べられないと
       断定することは出来ないでしょう。 

       そして自分の中に生じた嫌悪の念は
       いたずらに正当化しないこと。

       心の中に「「嫌いという気持ちはよくない」
       という固定観念が動く時
       人はことさら嫌いな相手を悪く言って
       否定したくなるのではないでしょうか。

       自分自身の中では、その感情を
       無理やり否定したり押し込めたりしないこと。
       我慢ではいつか爆発してしまいます。

       嫌いな人となると、どうしてもやっつけたくなるのが
       人間です。「あの人嫌だね」
       と言って徒党を組んで否定したり
       除け者にしたくなってしまうのです。

       でも嫌いなのはあくまで「部分」なのではないでしょうか。
       よく「つめの先から頭のてっぺんまで嫌い」
       ということを言います。

       でもたいていは嫌いな部分を拡大しているのです
       嫌いなのは一部であり、
       全体ではない、という事実を忘れないことです。

       そして好き嫌いは誰にでもあるということ。 
       嫌悪の情は私達が生まれてから
       少しずつ覚えてきたものなのです。

       人やものにどんな好悪の念を向けるのか
       知らない間に自分の身に刻み込んできてしまった
       といっていいでしょう。
  
       だから嫌悪の気持ちが何故生じたのか
       中々判らず、それをすぐに好きになろう としても
       難しいのです。 

       それはもともと危険があれば避けようとし
       楽な状態を引き寄せる、生きていくために
       必要な好き嫌いの感覚によるものです。

       嫌いなものはどうしても退けたくなり否定したくなってしまう・・・。

       でも嫌いなら、それからどうするか
       と言うことの方がずっと大切なことです。

       「嫌いなのは分かった。ではあなたは
       その人に対してどう接するのか」

       そう問われているのではないでしょうか。

       どんな人でもどんなことでも存在自体は
       尊ばれるのが本当なのではないでしょうか。

       どんな存在もどんな出会いも無意味なものはなく、
       偶然ではない。

       それがこの世界のほんとうの姿です。

       嫌いな人を否定したいという衝動が消えない人へ。

       その衝動は実はあなた自身の葛藤を
       表しているのではないでしょうか。

       許せなくなるのは、あなたが違和感を感じている、
       まさにその嫌いな部分を
       自分も持っているからなのです。

       自分が出すまいとしているものを、
       そのまま出している人を見るから、嫌だと思うのです。

       あなたが嫌いなところはどうでしょう。
       そして、自分にも同じものがあるということを
 
       認めることが大切ではないでしょうか。

       様々に違いを抱いた
       全ての人が魂の兄弟であり
       生きとし生けるもの
       在りとし在るものが兄弟です。

       嫌いであっても  認め 育み 励まし 見守ることはできます。
       あなたの心は、その広さ、その深さを抱いているのです。
 
       高ぶるこの感情を鎮めて下さい。
       この感情に突き動かされることなく
       往くべき道を選びたいのです。背負うべきものを背負いたいのです。

       違いを退ける心から
       そのかけがいのなさ
       大切さをはっきり見ている心を
       私の中に表して下さい。

       全ての人々と一つの絆で結ばれていることを思い出させてください。

       私は 寛容さ 包容力 許す心 忍耐する心 優しさを 
       育みたいのです。

       働く場所で働くことができますように。
       信ずべき人を信じることが出来ますように。





       高橋佳子 『いのりのみち』 より



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