愛犬と田舎暮らし♪

恥ずかしいということ


恥ずかしい・・・
みっともない・・・
人は誰しも
人からどう思われるのか・・
ということを
いつからか気にして生き始めます。
動物が悩みがないとすれば
ありのままで生きるから。
私達は
大抵
人からどう思われるのか・・・
ということに
心を奪われ
心を傷つけて
生きている
そんな
生き物なのかもしれません。
  

     人の視線



       5歳の頃、消し忘れの沸騰した
       おふろの中に落ちた ことがあります。
       その為腰から右足全体に焼けどを負いました。
       (今はだいぶ目立たなくなっています。
       水着にならなければ分かりません)
  
       小学校中学校とブルマをはく機会があるので
       (当時はそうでした、今はズボンみたいですね)
       本当に恥ずかしく
       男の子にいじめられたり嫌な思いをしました(T_T)

       中学の時には集団いじめにも遭い、2年近く
       学年の殆ど全員に無視される・・ということもありました。
       
       この出来事も人目を気にするということと深く繋がっているような
       気がします。
       
       放課はトイレに隠れ、親にも誰にも泣きつくことも
       出来ず、ただ心の中は人への恨みや憎しみを募らせていた
       筈のあの頃・・・。

       今思えばあのいじめは相当私に大きな傷跡になっていたんですが
       それに気付いたのはつい最近でした。

       ニュースなどでいじめを報道すると
       おかしなことに、いじめ?そんなもの
       たいしたことじゃないわ
       だって、私ですら乗り越えて来れたんだから・・・

       みんないじめいじめっておおげさだわ〜〜

       と不思議な程、他人事のように感じていた、
       いや感じようとしていた・・・。

       自分が判らないわけですね・・・・。ちゃんと向き合うことさえ
       怖かったのかな・・・・。

       自分の痛みに対して痛くないふりをし、目をそむけるということは
       結局人の痛みもわかろうとしない・・・ということなんですね。


       命を亡くされる方も多いいじめ。


       今なら、その方たちの痛みを直視することもでき、
       幼い命にとって他人から受ける蔑視や差別の視線がどれほどの
       恐怖と苦しみなのかを素直に認め、受け止められる気がします。

       
       今あの頃の自分なら、人を恨むんじゃなくて、一生懸命お勉強し
       私に声をかけてくれた勇気あるお友達に感謝し、大切に想い
       自分の心を見つめるときとしていたらな〜なんてふと、思ったり
       してしまいます・・・。

       あまりにもその後の人生に悔いがあるので。


       でも全てが今となってはいい経験でした・・・。


       後悔もちろんあるけど、今からだって修正はできる・・・
       そう思うと、全てのことが、自分に何に気付け・・と
       呼びかけているのか・・・心を研ぎ澄ますことの
       大切さを感じます。


      ・:*:・゜☆。・:*:・゜・:*:・゜☆。・:*:・:*:・゜☆。・:*:・゜・:*:・゜☆。・:*:・:*:・゜☆

       10年15年が過ぎ今の私は、
       ようやく自然な自分で生きられるようになりました。

       でも

       未だにプライドの高い
       自分の弱さを素直に認められない自分。 
       足らないところを指摘されたときの屈辱感。
     
       

       そんな時に祈るのがこちらです。

家の近くの二柱神社

      
 恥を気にするとき

  
       わたしたちは皆、
       他人のまなざしの中で育ってきました。

       生れ落ちたとき、母親か誰かに守られなかったら
       生きながらえることは出来なかったでしょう。

       受け入れられることは「生」
       拒絶は「死」を意味するからです。

       安全になることは生命体にとって史上命令でした。
 
       ですから、母親に受け入れられることを始まりとして、
       常に『他人に認められたい」
       『受け入れて欲しい」と思ってきたのです。
 
       逆に拒絶されたら、
       仲間はずれにされたらどうしよう、
       という恐怖も嫌というほど
       味わってきたでしょう。

       『特別にはなりたいが、皆から離れたくない』 

       多くの人がこの言葉にうなずく想い
       をもっているのではないでしょうか。

       恥を感じることや、恥ずかしいという気持ちが、
       謙虚さから、魂の清さから出るときも
       あります。

       自ずから存在を大切にする気持ちの表れから
       生じることがあります。

       しかし、それが行き過ぎたり、
       動機がずれていたりする時、
       それはもう魂の清さではなく

       「他人の目にどう映るか」 
       「よく映りたい」 「低く見られるのは嫌だ」
       というように際限なく動いてゆくのです。

       虚栄・・・・見栄の欲望そのものになるのではないでしょうか。
       ただの面子や世間体の問題になるのではないでしょうか。

       私達は誰もが見せるための自分作り、
       に夢中になってきた過去を抱いています。

       自分の人生を歩みながら、
       他人の目にさらされることを気にして道草をしてしまう。
 
       自ら生きる自分ではなく、
       他人の目に手綱をつかまれた馬のように
       走り出したり立ち止まったり、そして、
       自分の道を忘れてしまう。
 
       けれども誰もあなたの存在を
       否定することはできないのです。

       あなたという存在の尊厳を冒すことはできません。
 
       その事実をもっと深く味わうことが
       必要ではないでしょうか。

       あなたが正しいと思うことを、必要だと思うことを
       虚心に行うことではないでしょうか。

       他人のまなざしの中で
       見せるために自分をつくろうのではなく
       自らを見つめ生きる私を現してください。

       まごごろに従って
       貫くものを抱けるように  智慧と力と信を授けて下さい。
 
       はだかで生まれ
       はだかで歩き
       はだかで暮らし
       はだかで還る
 
       人生の道をいつもはだかになって歩く道を
       思い出させてください。
 
       私の魂は
       清く 強く 簡素で 慈しみに満ちているのです。

       この魂の姿そのままに人生の道を歩ませてください。



       高橋佳子 『祈りのみち』 より



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