2021♪

恥ずかしいということ

                     
恥ずかしい・・・
みっともない・・・

人は誰しも
人からどう思われるのか・・
ということを
いつからか気にして生き始めます。
動物が悩みがないとすれば
ありのままで生きるから。
私達は
大抵
人からどう思われるのか・・・
ということに
心を奪われ
心を傷つけて
生きている
そんな
生き物なのかもしれません。
  
 
  
人の視線



       私は、3歳の頃、消し忘れの沸騰した
       おふろの中に落ちた ことがあります。
       その為腰から右足全体に焼けどを負いました。
       (今はだいぶ目立たなくなっています。
       水着にならなければ分かりません)
  
       小学校中学校とブルマをはく機会があるので
       (当時はそうでした、今はズボンみたいですね)
       本当に恥ずかしく、
       男の子にいじめられたり嫌な思いをしました(T_T)
 
       自分の心の中で必要以上に

       「自分は他の子とは違うんだ」
       「わたしの足は気持ち悪いんだ」と
       ものすごい劣等感がありました。
 
       周囲はそれ程何も思っていなかったのかも知れません。
       でも自我が芽生えたとき、
       必要以上に自分が人からどう見られるか・・・
       ということを気にして自分を取り繕って
       しまっていました。

       自分の心の闇を、人に見られて恥ずかしい、
       という、心の闇を、抱えていたのです。

       10年20年30年が過ぎ今の私は、
       ようやく等身大の自分で生きられるようになりました。

       でも生活する上で、今も自分が人からどう思われるのか、
       を気にしながら生きている ことに気付かされます。

       そして未だにプライドの高い
       自分の弱さを素直に認められない自分。 
       足らないところを指摘されたときの屈辱感。
     
       相手に対しても優位に立とうと無意識に望む自分。

       そんな時に祈るのがこちらです。





家の近くの二柱神社

       
恥を気にするとき

  
       わたしたちは皆、
       他人のまなざしの中で育ってきました。

       生れ落ちたとき、母親か誰かに守られなかったら
       生きながらえることは出来なかったでしょう。

       受け入れられることは「生」
       拒絶は「死」を意味するからです。

       安全になることは生命体にとって史上命令でした。
 
       ですから、母親に受け入れられることを始まりとして、
       常に『他人に認められたい」
       『受け入れて欲しい」と思ってきたのです。
 
       逆に拒絶されたら、
       仲間はずれにされたらどうしよう、
       という恐怖も嫌というほど
       味わってきたでしょう。

       『特別にはなりたいが、皆から離れたくない』 

       多くの人がこの言葉にうなずく想い
       をもっているのではないでしょうか。

       恥を感じることや、恥ずかしいという気持ちが、
       謙虚さから、魂の清さから出るときも
       あります。

       自ずから存在を大切にする気持ちの表れから
       生じることがあります。

       しかし、それが行き過ぎたり、
       動機がずれていたりする時、
       それはもう魂の清さではなく

       「他人の目にどう映るか」 
       「よく映りたい」 「低く見られるのは嫌だ」
       というように際限なく動いてゆくのです。

       虚栄・・・・見栄の欲望そのものになるのではないでしょうか。
       ただの面子や世間体の問題になるのではないでしょうか。

       私達は誰もが見せるための自分作り、
       に夢中になってきた過去を抱いています。

       自分の人生を歩みながら、
       他人の目にさらされることを気にして道草をしてしまう。
 
       自ら生きる自分ではなく、
       他人の目に手綱をつかまれた馬のように
       走り出したり立ち止まったり、そして、
       自分の道を忘れてしまう。
 
       けれども誰もあなたの存在を
       否定することはできないのです。

       あなたという存在の尊厳を冒すことはできません。
 
       その事実をもっと深く味わうことが
       必要ではないでしょうか。

       あなたが正しいと思うことを、必要だと思うことを
       虚心に行うことではないでしょうか。

       他人のまなざしの中で
       見せるために自分をつくろうのではなく
       自らを見つめ生きる私を現してください。

       まごごろに従って
       貫くものを抱けるように  智慧と力と信を授けて下さい。
 
       はだかで生まれ
       はだかで歩き
       はだかで暮らし
       はだかで還る
 
       人生の道をいつもはだかになって歩く道を
       思い出させてください。
 
       私の魂は
       清く 強く 簡素で 慈しみに満ちているのです。

       この魂の姿そのままに人生の道を歩ませてください。








 
       高橋佳子 『いのりのみち』 より








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