 
みつえさんの苦労
私の姑であるみつえさん。
短い期間ではありますが、一緒に暮すことで、73年間、どんな
苦労をしてきたか・・ということを、少しずつ知ることになりました。

花が大好きなみつえさん♪
それは、多分、病気との闘いでもあったかと思うのですが、
3人の子供を生み、その子供から与えられた試練でもあったと
私の勝手な解釈ですが、思います。
長女であるおねえさんは小学生の時に目が殆ど見えなくなりました。
私が言うのも、なんですが、とってもきれいで、賢く、小さい頃から
お姫様のようにかわいがられていたお姉さん・・。
そんなお姉さんが突然原因不明の弱視になり、当時小学1年
だったそうですが、普通の学校では受け入れてもらえない程
一気に視力が落ちたそうです。
結局、2年生から、岐阜市
(ここからは当時車で4時間はゆうにかかったそうです)
にある盲学校に入ることになりました。
自分の幼い愛娘が、かわいい盛りの時に離れ離れになる苦しみ。
子供のいない私ですら、容易に想像を絶する苦しみでしょう・・・。
当時は今ほど障害を持つということが、オープンにできず、
近所の目なども、
気になっていた・・と当時の率直な気持ちを話してくれました。
(現在お姉さんは結婚され、二人の男の子が大学と高校に通って居ます。
とっても素敵な家族です。)
その頃、舅がいて、とても厳しい封建主義のおじいさま
だったらしいのですが、舅とみつえさんは
うまくいっておらず、よく馬乗りになって
たたかれたり蹴られたりされていたそうです。
みつえさんの旦那さん
(義父)はそんな自分の父親に頭があがらず、いつもご機嫌を伺いながら
暮していたそうです。
娘との、離れ離れの生活に舅との暮し・・・。
幼い二人の子供を抱え・・・・。
この頃から、みつえさんの病気が出始めたようです。
みつえさんは、躁鬱病と、統合失調症、てんかん
を持っています。統合失調症は分裂病の現在の名称です。
長女の後に次女のお姉さんと主人がいますが、
主人もその当時みつえさんがどれ程困憊した状態か、
幼いながらも感じ、
精神病院にみつえさんが入院したこともはっきり覚えているそうです。
もともと持っていた病気とはいえ、発症のきっかけが、
心の苦しみからだということは明らかのように思います。

その後みつえさんの長男である主人が、20代の前半で一回目の結婚をし、
子供を2人もちましたが、長女が6歳の頃、離婚。
主人は、大工として、自分の工場を持ち、
生計を立てていましたが、離婚と同時にすべてを失いました。
子供が大好きな主人にとって、幼い自分の子供との別れ、
奥様との
別れ、仕事を失うこと・・・。
みつえさんに似たかわいい長女だったそうです。
その後主人は、姿を消してしまいました・・。。10年以上の月日、
どこで何をしているのか、誰にも分からなかったようです。
その間のみつえさんの気持ちはまさに生き地獄でしょう・・・。
(もちろん義父も同じだったでしょう)
主人が地獄を味わったのは言うまでもありませんが・・・。
初孫と息子を同時に失う・・・。10年たっても消息がつかめず、
もう、しげぼーは死んでしまった・・と思っていたそうです。
主人はといえば、もう、何もかもが狂ってしまい、お酒に溺れる毎日。
食べるために、全国を転々としながら、水商売をしていたようです。
新潟でも暮していて、その頃偶然にも私も仕事のため、
新潟に居て、主人が同じ時期に居たことを後から知り、二人で驚きました。
その後、×××の世界にも
足を入れ、売春斡旋などを経て、人間の生活の根底を嘗め尽くして
生きていました。
その頃、急性肝炎になり、もう命の保障はない、
とお医者様に言われたのですが、奇跡的に命をとりとめました。
その後、骨が溶ける病気、 骨腫 になり、手首の骨が溶け始め、
腰の骨を移植するも、11年後に左の顔の目と鼻の神経の間に移転。
口腔内から、手術をしましたが、
顔に移転すると命に関わるそうで、もうだめか・・と
意外に冷静に受け止めたそうです。
その2年後に名古屋近郊に居た頃、私と知り合いました。
その間、みつえさんは、毎日、仏壇に手を合わせ、
主人の戒名(!)作ってもらい、
悪夢にうなされながら、日々息子を思って生きていました。

健康保健施設たかはら にお世話になっている頃のみつえさん。
クリスマス会です。
私と主人が名古屋で出会い、一緒に暮し始め、
私も精神的に不安定な時期だったのですが、
互いの傷を感じ取り、ようやくお互いにとって生きることが、
生きているということが、
苦痛ではなくなりました。
人間らしいこころを取り戻し、
少しずつ、地に足をつけて二人で歩き出しました。
その頃から、主人の実家のことを知り、
帰ろう・・・と私が言い出したのです。
義親にとって、死んでいたはずの
息子からの15年ぶりの電話・・・・・。
しかも15歳も歳の離れた私(その頃既に籍だけは入れていたので)
と共に帰ってくる・・・。
それはもう、ものすごい喜びようでした。
その後、同居となるのですが、
同居・・・となると現実は、甘いものではないどころか、
義親対私達夫婦のすさまじい、心の衝突。
みつえさんにとって、私は、突然静かな生活の中に、
土足で踏み入られる感覚・・・だったのではないでしょうか。
もちろん、私は、長い間苦労をされた義親のために、一生懸命だった
つもりでしたが、何もかもが気に入らなかったようです。
あまりにもの、
環境の変化に心がついていかなかったのかも知れません。
主人と私の結婚式(入籍して4年がたっていましたが)
の1ヶ月前位から、目だって精神不安定になり、
躁鬱を繰り返すようになり、(それまでも、執拗に私に対して、猜疑心を
持っていました)
当日は、意識がもうろうとした状態での
出席になってしまいました。
結婚式の翌日、家の中にみつえさんの姿がなくなり、
大騒ぎをしていたら、隣の家に裸足で、逃走・・・。
もう、本人も何が何だか分からない状態でした。

行きつけの精神病院に連れて行くと、即入院。
約1年、病院側が辟易する程の、錯乱状態が続きました。
結局、その病院であまりにも苦しんだ為でしょうか、
十二指腸潰瘍と、自傷行為で目を切ってしまったため、
赤十字病院に移転・・。
その頃は、既に歩くこともできず、
排尿も管を通してもらっていました。
体力もないままに手術をしたため、2〜3日が峠です・・・と
医師に伝えられました。
私は一度家に戻りましたが、
今までのみつえさんとの壮絶な?同居を振り返りながらも、
もしかして、もう、ここに帰ってこないかも・・・
と思うと、涙が溢れて、憎んでいたはずなのに、一晩中泣き崩れました。
みつえさんに幸せになってもらう為に主人とここに、
帰ってきたのに・・・・。
苦しんだまま逝ってしまうことが耐えられなく
「どうしよう、どうしよう・・・
みつえさんが、もうだめかもしれない・・・」
泣きながら実家の母親に
電話をした記憶があります。
私も相当、意識が混乱していました・・・。
幸いなんとか、峠を越え、少しずつ回復。
でも1年前まで畑を耕していたみつえさんが寝たきりに・・・。
要介護4。
ただ、精神的には落ち着いていたので、
家の近くにある、国民健康保険施設にお世話になることになりました。
8ヶ月ほど、そこで、一生懸命リハビリをし、
私もみつえさんに会いに行くことが楽しみで、
3日に1回ほど、お勧めの本などを持っていき
二人で語ることが本当に嬉しく、
頑張って家に戻れるようになろうね・・・と話していました。

お世話になった健康保健施設 たかはら
そして、4月頃、調子が良くなり、
土曜日だけの一時帰宅をするようになった頃、
また、精神不安定に。
私とも口を利かなくなり、
施設でも看護婦さんがいじめる・・などというようになってしまいました。
あと一歩で退院という時に、
婦長さんからうちでは専門外なので、面倒見切れません・・・と
告げられました。
そして、またもや、精神病院へ。
極度に不安定になり、2ヶ月見舞いにも行けないほど。
私は、もう、この人は再生?不可能な心なのかもしれない・・・
関われば関わるほど、じぶんが傷付くだけかもしれない・・・
幸せになってもらいたい・・・なんて、無理なんだ、と
心が荒れ、何もかもが信じられないような気持ちになっていました。
家族の一人が病気で苦しんでいるのに、
私は、自分ばかり、苦しんでいると、思っていました。
こんなに想っているのに、どうして??
私を信じて欲しい・・・・。
でももう無理だ・・・私も想い疲れた・・・。
そんな絶望感に押し潰れそうになっていました。
その間に、主人が私の為を想い、別居という決断をし、家を建て始めたのです。
結局、私達の存在ではみつえさんを安らいだ心になってもらえないんだ
という悲しい結論でしょうか・・・。
でも、家を建てたことによって、自分が楽になったのも事実です。
何十年という長い長い間、二人で辛酸を舐めてきたのに、
「私が来たから、もう安心よ〜」と
孫 ほど歳の離れた嫁が、生活の中に入ってくることの違和感。
相手の病気のせいにして、自分の愚かさに気付かなかった私。
そうか、みつえさんは、息子と私が元気に暮してさえいれば、
幸せなんだ・・・・。
そんなことを、家を建てたことで、思えるようになりました。
本当に愚かなことをしてしまっていたんだな・・・と思います。
(一緒に暮すことはもちろん、私がいろいろと世話を焼こうとした
いろんなこと・・)

その後、また落ち着いて、ようやく、現在の生活
があります。
現在は普通に歩くことはもちろん、お風呂にも自分で入れるし、
草取りなども毎日1時間ほど、義父と共に、しています。
掃除機までかけられるように!!

精神的にも今は非常に落ち着き、いつも笑顔で、まるで別人のようです。
私やもものことをとても思いやってくれ、毎日が柔らかい空気に
満ち溢れた感じ・・・。
まさに、信じられない変化です。

今、みつえさんを見ていると、本当に幸せそうです。
これが人生・・というものなのだ、と教えてくれている、そんな気がします。
※こちらのコンテンツは、もちろん、本人(主人、義母)の許可を得て
作成しています。



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